名護屋城ってどんなトコ?

肥前名護屋城

地図からみる文禄・慶長の役

 

戦国武将の陣跡

豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し築かせ、当時の大坂城に次ぐ規模を誇り、全国から160もの戦国武将が集結した「天下人」の城。
名護屋城の周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集まり、繁栄したといわれています。
420年前の面影が残る肥前名護屋にいざ出陣!
現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されており、平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定されました。

今でも見学できる陣跡は?

増田長盛陣跡
❶ 増田長盛陣跡
[道際駐車場から見える曲輪・石塁跡]
豊臣政権五奉行の一人。朝鮮渡海。
文禄4年(1595)、大和郡山城20万石。
北条氏盛陣跡
❷ 北条氏盛陣跡
[遊歩道近くの曲輪・石塁跡と旗竿石]
後北条氏3代目氏康の四男氏規の子。
名護屋在陣。
生駒親正陣跡
❸ 生駒親正陣跡
[曲輪・石塁跡]
秀吉の国内統一戦に歴戦。讃岐一国17万石。朝鮮渡海。
島津義弘陣跡
❹ 島津義弘陣跡
[遊歩道際の曲輪・石垣跡]
薩摩島津氏の18代目。薩摩・大隈・日向56万石。朝鮮渡海。慶長の役では泗川の戦い等で勇名をはせる。
九鬼嘉隆陣跡
❺ 九鬼嘉隆陣跡
[整備状況]
豊臣水軍の主力として活躍。朝鮮渡海。伊勢・志摩の内3万5千石。
豊臣秀保陣跡
❻ 豊臣秀保陣跡
[整備状況]
秀吉の姉ともの子。秀吉の弟秀長の養子となり、秀長死後その跡目を継ぎ「大和中納言」。名護屋在陣。VR名護屋城対応
堀秀治陣跡
❼ 堀秀治陣跡
[整備状況(陣跡では唯一の全体的装備)]
越前北ノ庄18万石。慶長3年(1598)には、越後春日山45万石。名護屋在陣。
VR名護屋城対応
富田信則陣跡(天神社)
❽ 富田信則陣跡(天神社)
[道際鳥居脇にある旗竿石]
秀吉の国内統一戦に歴戦。朝鮮渡海。文禄4年(1595)に伊勢安濃津5万石。
徳川家康陣跡
❾ 徳川家康陣跡
[曲輪・隅櫓跡石垣現況(道際なごや保育園横)]
豊臣政権五大老の1人。江戸を本拠とし250万石を領した大名。1万5千の兵力を率いて名護屋在陣。家康はこの本陣の他に海を隔てた東側対岸に別陣も構えている。
木下延俊陣跡
❿ 木下延俊陣跡
[整備状況・トイレ跡]
秀吉の正室おねの兄家定の子。名護屋在陣。※名護屋城博物館内から見学路へと通じています。
前田利家陣跡
⓫ 前田利家陣跡
[館部大手・旗竿石]
豊臣政権五大老の1人。8千人の兵を率いて名護屋在陣。文禄2年(1593)に名護屋に来た明国使節団を接待する。
加藤嘉明陣跡
⓬ 加藤嘉明陣跡
[整備状況(呼子大橋前)]
賤ヶ岳の七本槍の1人。朝鮮渡海。水軍の将として多くの海戦に参戦した。

VR名護屋城対応 : VR名護屋城で見られます。