北条氏盛(1577〜1608)
河内国狭山藩主(江戸時代)
北条氏は、その出身に謎の多い北条早雲を初代とする有力な戦国大名である。小田原を本城とし、上杉謙信や武田信玄の侵攻を退けて、広く関東地域を支配していた。しかし、天正18年、全国統一を目指す豊臣秀吉に敗れ、四代の氏政とその弟氏照、さらに五代の氏直が死んだことにより、北条氏の本流は断絶する。江戸時代には、氏政の弟氏規とその子氏盛が狭山を領地として藩を維持した。文禄の役では、この親子が名護屋に在陣している。
北条氏は、その出身に謎の多い北条早雲を初代とする有力な戦国大名である。小田原を本城とし、上杉謙信や武田信玄の侵攻を退けて、広く関東地域を支配していた。しかし、天正18年、全国統一を目指す豊臣秀吉に敗れ、四代の氏政とその弟氏照、さらに五代の氏直が死んだことにより、北条氏の本流は断絶する。江戸時代には、氏政の弟氏規とその子氏盛が狭山を領地として藩を維持した。文禄の役では、この親子が名護屋に在陣している。