名護屋城ってどんなトコ?

肥前名護屋城

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幻の巨城 大正15年史跡指定 昭和30年特別史跡指定

名護屋城は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城です。
わずか5カ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。周辺には全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ、
人口20万人を超える城下町が出現しました。国内でこれほどまでの名だたる武将が一同に会した城、陣跡はありません。
関ヶ原の戦いの後、寺沢広高が唐津城を築城した際に、その一部の遺材を使用したと言われています。
その後、一国一城令(1615年)を受けて、人為的に破却。幻想的な当時の破却の姿がそのまま残る「幻の巨城」をお楽しみください。

参考資料 佐賀県立名護屋城博物館提供 改変

❶ 石垣
安土桃山時代の貴重な技術を示す石垣には主に九州の諸大名がその構築に携わった。
❷ 弾正丸
秀吉の姻戚で、五奉行の筆頭、浅野弾正長政が居住していたところで、その名にちなんで付けられた。
❸ ニノ丸
本丸の西側にあり、武器、兵糧などの建物があった。
❹ 遊撃丸
文禄2年(1593年)に講和使節として来日した沈維敬(遊撃将軍の使者)の宿舎となったことから、この名称が付けられたといわれている。
❺ 本丸(天守台)
本丸の広さは東西130m、南北125mで、この西北の隅に天守閣が置かれていた。この天守台からの玄界灘の眺望は素晴らしく、壱岐・対馬も望見できる。
❻ 水手曲輪(みずのてくるわ)
城の欠点は水利の便の悪さ。城中に深井戸も掘ったが水不足で、そのためここに貯水池を造って雨水を貯め、使用していたと伝えられる。
❼ 本丸大手門
三ノ丸から本丸への入口に、二層の豪壮な門が築かれていた。後に、仙台(青葉)城主伊達政宗が城の大手門に移したという。国宝であったが、惜しくも第2次世界大戦(昭和20年)の空襲で焼失した。
❽ 三ノ丸
本丸を守る重要な区域。ここから二ノ丸にも通じている。井戸の跡がみられる。
❾ 山里丸( 曲輪 くるわ
現在の広沢寺のある一帯。秀吉の居館・御殿や、能舞台、茶室、庭園などがあった。
❿ 東出丸
大手口から登城坂を登ると、地元で千人枡をいわれる曲輪が右側にある。
⓫ 大手口
駐車場から城へ入るところが大手口。城の正面玄関口で、右手に大規模な櫓台があり、太閤道に通じている。

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